表舞台と舞台裏 ~富野監督インタビュー伝説~


光あるところに影がある。本音と建前。表があれば裏もある。表舞台と舞台裏……。

マーチャンダイズのレールに乗って陽のあたる場所に出荷されるものはたいてい、毒が抜けたマイルドなお味に調味されているものですが、舞台裏のほうがマイルドだった、そんな珍事があったのです。

ときは2006年初頭。

当時編集をしていた音楽雑誌の特集テーマと、『機動戦士ΖガンダムIII A New Translation -星の鼓動は愛-』のプロモーション期間とが幸いにも噛み合い、富野由悠季監督にインタビューできる、という夢のような案件が爆誕しました。

――インタビュー当日。
寒空の下、不慣れな銀座をトボトボ歩き、たどり着いた松竹の試写室で、おそらくできたてホヤホヤの、制作者以外には誰も観ていない作品をまずは鑑賞。余韻に浸る間もなく、取材メモを書き足しながら上井草の大本営に急ぎます。上井草駅は、今のように「燃え上がれ~」とは出迎えてくれませんでしたが(発車ベルが『翔べ! ガンダム』に変更されたのは2008年3月23日~)、僕の心は勝手に燃え上がっていました。

大本営に足を踏み入れ、ガンダム課の方に案内された小部屋で、数組の取材陣とともにインタビュー時の注意などを受けつつ、じっと待つ。「ひと組小一時間だとすると、こりゃ大仕事だな」なんていう当たり前のことをモヤモヤ計算していると、あっという間に順番が回ってきました。

直前で合流したカメラマンによる照明セッティングの時間は、“はじめまして”同士の絶妙な距離感を埋めるのに、いつもとても役立ちました。「結構大掛かりなんですね」「写真を大切にしたいので」「ちょっと服を整えてこようかな」「アハハ!」みたいなところからヌルッとコミュニケーションが生まれ、映画のラストの興奮をお伝えしたり、何気ない雑談をしたりで、インタビューは和気あいあいとスタートしました。

くどいですが、映画のプロモーションが前提なので、お約束的な質問は欠かせません。その辺を真っ先にしっかり消化してから、アニメ雑誌には載らないであろう、音楽雑誌らしい切り口を求め、徐々ににじり寄っていきます。しかし、音楽のこと、特に商業寄りの質問を投げかけると「わたしには音楽の素養がないから、できる人に任せただけだ」という感じで、すげなく突っぱねられてしまいます。さすが監督だ! ということで、三枝成彰先生(テレビ版Ζに引き続き、劇場版Ζの劇伴をご担当)の話題をとっかかりに、“劇伴”の話へと軸を移すことにしてみました。この作戦が奏功し、これまでのシリーズ全体をとおした、監督らしい音楽観を事細かく伺うことができたのです! あれよあれよと、デジタルを用いた仕事観にも話は拡がり、これは良い記事になるぞ、そう直感しました。

 

だがしかし、事件は唐突に起こったのです。

話の流れの中で登場した、とある作曲家さん。そのとある作曲家さんの仕事が、どうにも気に入らなかったそうで、「アイツは、ストーリーや映像や音声を、自分の曲の付属品としか思っていない」「もう絶対、一緒に仕事することはない」などなど、なかなかどうして表舞台には出しづらい秘話がポンポンと飛び出してきます。「アイヤー、さすがに記事にはできないな」と思いながらも真剣に伺っていると、その話題が終わるか終わらないかのタイミングでタイムアップ。夢のひとときは終わってしまいました。

 

燃え上がりっぱなしの僕は、直帰で自宅に戻り、さっそくテープ起こしを開始します。問題の箇所は大いに悩みましたが、劇伴という壮大なテーマを熟慮すると必ずブチ当たる壁のひとつでもあるので、問題提起という意味合いを持たせ、うまく人名を伏せながら、監督の想いを捻じ曲げずに、陽のあたる記事に落とし込みました。我ながら良くやった。そんな安堵感がやっと訪れてグッスリ眠れた、次の日。何人かで読み回して、大きな問題はなかろう、とFAXで原稿をお送りしながら、メールと電話で「インタビュー記事のご確認お願いします」の連絡を大本営に入れる。

 

さらに数日後。

「これからFAXを送ります」のご連絡に続いて、ガーガーピーピピピーの音と共に、なにやら激しい文字が入った原稿が返ってきました。

うまく人名を伏せていた箇所に豪快な取り消し線が引かれていて、“生意気な菅野よう子が”という直筆の修正が入っていたのです。雑誌のポリシーとして、インタビューイの修正依頼は絶対でしたので、僕は震える手で「QuarkXPress」にそのとおりの文字を打ち込みました……。

かくして、舞台裏よりも過激な表舞台の記事を載せた雑誌が、本屋さんに並ぶことになったのです。チャンチャン!

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