バーチャル・アナログ・シンセサイザー全盛期――真っ黄色の奇抜な筐体と極上の哀愁サウンドで、ひときわ異彩を放っていた「Q」に心を奪われたのは、大学生の時でした。「いつかは、Waldorf」、そう心に誓って、早20年。
そんな私に、Waldorf「KYRA」がついに届いたのです。
前例のない頭脳、FPGAとは!?
「KYRA」は、バーチャル・アナログと呼ばれるタイプのデジタル・シンセサイザーです。リアルな生楽器の音こそ出せませんが、古典的なシンセ・サウンドを現代の解像度で再定義した、意欲的なプロダクトに仕上がっています。
「KYRA」を語る上で、まず最初に触れないわけにいかないのが、前例のない“頭脳”を持っている、という点でしょう。
これまでのデジタル・シンセサイザーの頭脳には、“LSI”が用いられてきましたが、こちらの「KYRA」の頭脳には、LSIの中でも特に“FPGA”が用いられています。
両者の違いを明確にするため、まずはLSIの特徴について探っていくことにしましょう。
LSIは、高速な計算を得意とするハードウェアです。ですが、すべてのLSIが、ありとあらゆる計算を軽々とこなせる、というわけではありません。設計に応じた得手不得手があるのです。例えば、リアルタイム画像処理に特化したLSI(つまりGPU)の場合なら、コンピュータ・グラフィックスに関する定型的な計算は大得意ですが、非定型の複雑な計算はとても苦手です。
またLSIは、設計/製造に莫大な投資が必要になります。何かに特化した専門的なLSIをジャンジャカ新規開発する、なんてことは夢のまた夢なのであります。
上記2つの特徴が意味するのは、LSIを自社で開発できる一部の巨大企業以外の一般的なメーカーは、必然的に、既成の汎用的なLSIからできるだけ用途に適したものを選定し、その挙動に準じたソフトウェア(シンセサイザーでは“シンセ・エンジン”と呼ばれる部分がソフトウェアに当たると考えてください)を作らねばならない運命にある、ということに他なりません。
そうして作られた、ある種隷属的なソフトウェアには、「本当はやりたくなかったけど、LSIの仕様上、仕方なくやった処理」だとか「近道はたくさんあるのだけれど、LSIの仕様上、とんでもない遠回りをして実現した処理」だとかがワンサカ詰め込まれることになります。それらイケてない処理たちの怨念は、動作をモッサリさせる原因となったり、実用に影響するほどの妥協を余儀なくされる原因となったりするなど、ついには目に見えるイケてない要素としてユーザー体験に滲み出てきてしまうのです。
コラ、誰ですか! PlayStationのゲームがSEGA SATURNに移植されると劣化するアレですね、なんて言う人は!!
一方FPGAは、製造後にその回路を書き換えられる、特殊なハードウェアです。
つまり、ソフトウェアのために作られた専用LSIであるかのようにFPGAをカスタマイズすれば、先程とは真逆に、「本当にやりたかった処理」だとか「LSIの仕様のおかげで、近道しまくって実現した処理」だとかをワンサカ詰め込んで、超絶イケてる要素満載なプロダクトを作り上げることができちゃう、というわけです。
コラ、誰ですか! SEGA SATURNがもしFPGAを積んでいてPlayStation互換の回路も有していたならば、移植のスピードとクオリティが格段に上がったでしょうね、なんて言う人は!! ……今だと、Analogue「Pocket」がその思想に近いですよ!!
閑話休題。
では、Waldorfは、そうまでして何をやりたかったのでしょうか? 次項からひとつずつ暴いてまいりましょう。
8パート/128音を実現したかった!
「KYRA」は、たくさんの音を同時に鳴らすことができます。どれくらいたくさんなのか、というと、最大同時発音数16音のシンセサイザーを8台並べたのと変わらないくらいたくさんです。スペック的には“8パート/最大同時発音数128音”と表現されまして、いわゆる“マルチ・ティンバー音源”ってヤツの仲間になります。
気になるのは、この数値がどれくらいのインパクトを持つか、という点でしょう。
バーチャル・アナログ・シンセサイザーという括りですと、入門機で1パート/1~4音くらい、汎用機だと1パート/6~12音くらい、フラグシップ機でも4パート/48音くらいが平均です。
こうして比べてみると、8パート/128音という数値のブッ飛びぶりがお分かりいただけるかと思います。
これほどまでに発音数に余裕があれば、余韻の長い音色を弾き倒しても途切れることなく綺麗に響かせることができますし、さらに、そういった音色を何層にも重ねて奥行きを出す、という使い方もできるでしょう!
キビキビした画面表示を実現したかった!
90年代半ば以降のデジタル・シンセサイザー、その中でもとりわけオールインワン・タイプのシンセサイザーの画面表示は、どれも、ことごとくモッサリしています。ひと動作ごとにちょっとずつ待たされるその感覚は、まるで、四角いタイヤの車を運転しているかのよう。
前述したLSIの得手不得手に起因する“苦渋の妥協”なんだろうな、とは思うのですが、どうにも楽器を触っている感じが薄れてしまいますから、「これなら、マウスをポチポチする方がよっぽど音楽的だわ!」と感じるユーザーが出てくるのも納得せざるを得ません。
その点「KYRA」は、ボタンやツマミを操作した“瞬間”に画面表示が追従します。音作りとは直接関係のないシステム設定の階層を意地悪く深堀りしても、恐ろしいくらいパッ、パッ、パッと切り替わってくれるのです。
このキビキビした画面表示は、クリック感のあるボタン&なめらかなツマミの感触と相まって、「KYRA」を、“ずっと触っていたい上質な楽器”へと昇華させている、と思います。
ただ、このキビキビ感に関連して、ちょっと再考してほしい仕様がございます。
それは、画面表示の内容が、最後に操作したパラメータに関する情報ページへ強制的に飛ばされる、という仕様です。
例えば、カットオフを少しずつ上げつつ、LFOをギュワンギュワン言わせようとすると、画面表示の内容が、フィルターの情報ページと、LFOの情報ページとで、チカチカ入れ替わるんです。それはもう高速で!
ちゃんと追従してくれるところはただただ「スゴイ!!」のひとことですし、LFOが何Hzでウネッているかを精確に知る必要もないっちゃーないんですが、この場合、私は、フィルターの情報ページで画面をロックでしておきたいなぁ、と思うのでした。
ケーブル1本での接続を実現したかった!
一般的な電子楽器をコンピュータから操作しようとした場合、最低でも、MIDIケーブルを1本、オーディオ・ケーブルをL/Rに1本ずつ、合計3本のケーブルを接続する必要があります。複数パートをバラバラにアウトプットできる機能を持つ高級な電子楽器になると、接続に必要なオーディオ・ケーブルの数が10本を超えることも稀ではありません。もし、そんな電子楽器が部屋に、2台、3台、4台あったとしたら……
「ハードウェア・シンセサイザーの楽しさは理解できるけど、ケーブルだらけになるのがイヤ! だから買わない!」という意見が大多数を占めるのも、うなづける気がします。
PCディスプレイがUSB-Cケーブル1本でデイジー・チェーンまでできてしまう時代(しかも、電源ケーブルさえ不必要!)なんですから、音楽制作のシステムだってミニマルにしたいですよね。
「KYRA」は、なんと、そうしたニーズにも応えてくれます。「KYRA」には、マルチ・チャンネルのオーディオ&MIDIインターフェイスが内包されており、たった1本のUSBケーブルをコンピュータにつなぐだけで、8パートぶんのMIDIデータ送受信と24bit/96kHz×8ステレオ・チャンネルぶんのオーディオ・データ送信ができてしまうのです。
……もっとも、この恩恵に与るためには、DAWで使うオーディオ・インターフェイスを「Waldorf Kyra USB Audio Device」に変更せねばなりません。アナログで似たようなことをやるよりも断然楽チンですが、望まれているのは、“コンピュータとUSB接続すると、さもVSTインストゥルメントであるかのように振る舞う機能(Elektron「Overbridge 2」みたいなの)”だと思うんですよねぇ。
ちなみに、オーディオとMIDIをUSBで束ねる、という思想は、「AIRA LINK」として、Rolandもすでに実用化していますが、閉じた規格なのがモッタイナイです(閉じてるつもりはないのかもしれませんが)。
だから貴方も、Waldorf
以上、FPGAのおかげで、8パート/128音を24bit/96kHzで鳴らせて、やたらキビキビ動作して、ケーブル1本でコンピュータと接続できちゃうWaldorf「KYRA」のご紹介でございました。
Waldorfシンセの象徴だった“真っ赤なダイヤル”がなくなっちゃったのは少々寂しいですけれども、もうひとつの象徴である“物憂げで艶やかなサウンド”は果てしなく空を突き抜けるほどの透明感をまとい、格段にパワーアップしています。
「KYRA」に出逢うことができて、「いつかは、Waldorf」だった私が、ついに「いつでも、Waldorf」になりました。開発スタッフのみなさま、幸せな時間をありがとうございます!