TAK-H.NET

DTMって市場自体が、霞のように消えちゃったんだろ

本サイトのHTTPS化にともない削除してしまった記事ですが、加筆修正を行ない再掲いたします! 「ふぅ~ん、昔、こんなことがあったんだな」という記録が、世界の片隅にポツネンと落っこちていてもいいかな、と思いまして。

霞のように消えたDTM

「DTMって市場自体が、霞のように消えちゃったんだろ」

先日、まったくの別件でWeb検索をしていた私の目に、突如この一節が飛び込んできました。出処は2ch(現5ch)の過去ログ、タイム・スタンプは2002年7月――「初音ミク」登場以前の“DTM暗黒期”の書き込みでした。

DTMユーザーにとっての1999年~2007年は、PC-9800シリーズからPC/AT互換機への本格移行、JASRACの方針変更、プロ向け電子楽器のコモディティ化、ソフト・シンセの台頭など、あらゆる苦難と迷いが重なった激動の期間にあたります。私は、その期間を“DTM暗黒期”と勝手に呼んでおります。

“DTM暗黒期”の中でも特に、GM音源の新製品リリースが完全に停止した2003年~2007年には、ソフト・シンセ化/DAW化の波についていけなかった(ついていかなかった)人たちに対して、「まだDTMとかやってんの?」「1台完結とかギャグでしょ?」「DTMって響き自体がクセェ!」と嘲る“サンレコ大好きイキり層”が爆増したのを鮮明に覚えています。「DTMマガジン」編集長だった私でさえも「もうDTMという字面のブランド力は失墜しました、誌名を変えませんか」と社長に直訴したほどです。

この頃、“DTM”は間違いなく死に体だったのです。

冒頭の一節は、私の脳髄をむんずとワシづかみにし、今では到底想像できないであろう当時の“DTM”を取り巻く状況の記憶を、ズルズルと引っ張り出し続けました。私は、ぼんやり光る画面の前でしばし硬直するしかありませんでした。

暗黒期までの牧歌的なDTM

“DTM”最初期の定義を、あえて卑屈な言い回しで表すならば、パソコン・オタクが、GM音源(音色配列などの細かい決まりに則って作られた、単体でアンサンブルを奏でられる電子楽器)1台を使い、CC(コントロール・チェンジ)やシステム・エクスクルーシブといった打ち込みテクニックを駆使して、既存曲を再現する腕を競う趣味、でありました(無論、音で自己表現をする人が皆無だった、というわけではありませんが、やや少数派でした)。

さらにひねくれた見方をするならば、ゲームのために買ったパソコンを、ゲーム以外の、できればちょっと高尚な趣味に使えないか…… というスタート地点から発展した、むしろ親プログラミング的な文化だった、と感じます。

閑話休題。さてそもそも、既存曲を再現する腕を競う趣味とはなんぞや…… と思われるかもしれません。それはちょうど、箱庭/ミニチュア/鉄道模型の延長のような、“見立て(メタファー)”の遊びだととらえると合点がいくでしょう。針金をこよりにして木の幹枝を再現するのと同様に、「NRPNでカットオフをウニウニすると、ワウ・ギターを再現できるぞー!」とか「ディレイはエフェクトを使わず、遅らせた実音を打ち込むべし!」とか「NRPNでドラムのピッチを無理やり下げると、Lo-Fi化するぞー!」とか「XG用のシステム・エクスクルーシブを送ると8ProがXG化した!」とか、そういった(あまり音楽的とは言えない)話題で大勢が湧き上がっていたのです。

“DTM”が親プログラミング的な文化だったのには、明確な理由があります。

ときは1986年、“DTM”の誕生前夜。その頃もっとも多くのパソコン・マニアに愛読されていた月刊誌「マイコンBASICマガジン(通称、ベーマガ)」内の“ゲーム・ミュージックをプログラムで再現するコーナー(ザ・ビデオゲーム・ミュージック・コレクション)”が、古代祐三さんというスーパー・ヒーローの登場により、絶大な人気を博すことになります。この、“ゲーム・ミュージックをパソコンのプログラムで再現する”という新しいムーブメントは、2年後の1988年に生まれた“DTM”と絶妙なタイミングで合流し、それまでパソコン・マニアたちのデファクト・スタンダード音源だったFM音源ボード(元締めはYAMAHA)が、より楽器らしいサウンドを奏でられるRolandのGM音源にリプレイスされていく、という現象を引き起こしました(これは単に、パソコン・マニアたちが潜在的に楽器らしいサウンドを求めていた、ということではなく、マルチメディアという謎の旗印のもとパソコン業界全体がFM音源を見放しはじめたこと、再現の対象として人気だったスーパーファミコンがFM音源ではなくGM音源に似たPCM系の音源を搭載していたこと、CDバブルの波に乗ってJ-POPの再現をする人が増加したことなど、さまざまな外的要因が交錯しながら影響を与えていたと思われます)。

ちなみに、電子楽器業界を巻き込むほどの大きなうねりを生み出した件のコーナーは、1990年に「ベーマガ」を飛び出して「Computer Music Magazine」という月刊誌へと発展、さらにその中の一派が、Rolandの庇護を受け分離独立して「DTMマガジン」を創刊するに至ります。

パソコンのプログラミングと“DTM”とはそもそも、一本の太い線でつながっている親と子のような関係だったわけです。

嗚呼、俺の8Proから知らない音が鳴っている!

最初期の“DTM”は、質素でしたが独特の趣がありました。

ジオシティーズで見つけてきた100KBほどのMIDIデータを、シーケンサーに読み込んで再生ボタンをクリックしたならば、聴き慣れているはずの自分のGM音源のサウンドたちがまったく違う表情を見せ、あたかもMIDIデータ制作者のGM音源とすり替わってしまったかのような錯覚に陥ります。しかも、シーケンサーでMIDIデータをほじくれば、制作者が施した巧妙なトリックのすべてを露わにしてしまえるのです! インタラクティブが盆と正月を背負ってきたかのようなこの体験に、それはもう、たいそう脳汁が出たものでした。

そうした逆アセンブラ的な楽しみ方も相まって、MIDIデータを聴く/覗くためだけに高価なGM音源を買い揃える“聴き専”なる人々を生み出すほど、“DTM”は白熱していったのです。

電子楽器三国志

企業戦略の目線で見ても、“DTM”という概念は、非常に大きな歴史の転換点になった、と言えましょう。

90年代半ばの電子楽器市場で圧倒的な力を有していたのは、YAMAHAでした。YAMAHAはそもそも、アコースティック楽器から集積回路まで(そのほかに、プロペラもルーターもバイクも船も浄水器も)、すべてを自社開発できてしまう世界屈指の大企業です。高い開発力と揺るぎない歴史から生まれる信頼感、加えて隙のない知的財産ビジネス力を武器に、ブルドーザーの如く電子楽器市場を席巻していました。

一方、そんな絶対王者YAMAHAを相手に、奇抜な発想力と抜群の突破力で対抗していたのが、Rolandです。当時すでにハイ・アマチュア~プロ向け電子楽器市場において高いブランド力を誇っていたRolandですが、YAMAHAほどの自社開発能力は有しておらず、しかも、YAMAHAの関連会社となっていたKORGとも戦わねばならない、なかなか厳しい状況に立たされていました。『三国志』で例えるならば、呉が魏に降伏し、蜀だけが孤立しているような、そんな状況だったのです。このままプロ向けの電子楽器市場で正面からぶつかり合っていたら、そう遠くない未来に大兵力で押しつぶされてしまうだろうことは明白でした(事実YAMAHAは、ある程度の音楽制作が1台で完結してしまう多機能でポップなシンセサイザー「EOS」シリーズを続々投入、電子楽器市場をミッドレンジまで拡大し完全勝利を目論んでいました)。

そこでRolandはドラスティックな舵切りを決断、完全アマチュア向けの低価格電子楽器市場(=DTM市場)を新たに創出する、という“ランチェスター戦略”を採ったのです。いかに大兵力のYAMAHA/KORG連合といえども、細い山道での局地戦(=まったく新しい市場)に持ち込まれては、兵数で圧倒することが叶わないわけです。

……ここから先のお話は歴史が示すとおりなので割愛いたしますが、Roland(GS)陣営のDTM事業責任者だった近藤公孝氏がRoland常務取締役になられ(現在は退任)、YAMAHA(XG)陣営のDTM事業責任者だった中田卓也氏がYAMAHA代表取締役社長になられていることこそが、DTM市場の闘いの苛烈さと重要性をもっとも雄弁に物語っているのではなかろうか、と思います。

初音ミク以降の新生DTM

ときは流れ、“DTM暗黒期”を経た2007年。「初音ミク」のビッグ・バン的なヒットによって、“DTM”という文字列は、ふたたび脚光を浴びることになります。しかし、以後語られる“DTM”には、これまでの“DTM”とはまったく違う定義が与えられました。新生“DTM”は“音楽制作全般”を指す言葉として、「初音ミク」以前の歴史的な背景から完全に切り離されたかたちでリボーンしたのです。

そうなったわけは、“おそらく”ではありますが、「初音ミク」を調教する(うまく歌わせる)ための打ち込み、つまり旧定義“DTM”と、「初音ミク」の盛り上がりに群がる“サンレコ大好きイキり層”によってもたらされた「レコーディング」「ミックス」「マスタリング」の概念とが、誤用/混同を繰り返しながら渾然一体となった結果ではなかろうか、と考えます。

ということで……

ということで、大昔の2chの書き込みの一節から、とりとめもなく思索の森を彷徨ってまいりました。

いま振り返ってみれば、言葉の定義などいつの世もいい加減だし、あの“DTM暗黒期”にゴミのように扱われた方々にも巡り巡って生まれ変わるチャンスが訪れたし、“サンレコ大好きイキり層”は自身がもっとも忌み嫌った“DTM”というフレーズをまとって“DTMer”として活動しているし、なのに大本営の「DTMマガジン」は休刊してしまったし……

人生って不思議なものですね。

Exit mobile version