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Wizとダンマスと私

私が「ゲーム業界に入ろう!」と決意したキッカケは、音楽からではなく、“ゲームを作りたい”と思う気持ちからでした。本記事は、そんなことをツラツラと書き連ねた随想録でございます。

Wizとの出逢い

小学生のころ、村田くんという親友がいました。村田くんには、お兄ちゃんと弟さんがいらして(つまり3兄弟)、村田くんと村田くんのお兄ちゃんとはかなり歳が離れていたのです。私が村田くんのお家に遊びに行くと、ときどき、そのお兄ちゃんから借り受けたという“オシャレなコンテンツ”をおすそ分けしてもらえる機会がありました。CHAGE and ASKAやTM NETWORKといった邦楽だったり、光栄の歴史シミュレーション・ゲームだったり。村田くんのお兄ちゃんが見つけてくるオシャレなコンテンツを村田くん経由で浴びるのが、とても心地よかったのを覚えています。

そんなオシャレなコンテンツのひとつに、ファミコン用ゲームのアスキー『ウィザードリィ』(以下、『Wiz』)がありました。真っ黒な画面に、何をやっているのかわからないゲーム性(はじめて出逢ったRPGだったのです!)、子供でもグッと来る荘厳でシンフォニックな音楽(故羽田健太郎先生の作曲)、シンプルなのにおどろおどろしさがヒシヒシと伝わってくるグラフィック…… マリオだ、くにおくんだ、ロックマンだ、でキャッキャ言っていた鼻垂れ小学生の脳髄にガッツーン! と衝撃が走ったのは言うまでもありません。

攻略本が大好き

ところで、小学生~中学生のころの私は、実家の近所にあった勝木書店金沢泉野店(2019年7月28日に閉店)でゲーム攻略本コーナーを片っ端から立ち読みし、気に入ったものがあれば、対象となるタイトルを所有しているかどうかに関わらず買い集める、という謎の趣味を持っていました。当時は、直感だけを頼りにやっていたことなのでさほど深く考えていませんでしたが、ゲーム攻略本というものに、ある種のアート性を見出していたのだろう、と思います。

振り返ればそのころは、ゲーム攻略本にとって、ブラウン管を直撮りした粗雑な写真の羅列と、アン・オフィシャルで下手っピな挿絵にまみれていた時代を卒業し、開発者の生の声を届けたり、対象タイトルの世界観形成を補助したり、という新しい立ち位置を次々と獲得していった、まさに“カンブリア紀”だったんだなぁ、と感じます。

飯田真佐史さん、ダンマスとの出逢い

▲一人称視点で描かれた、謎とモンスターとトラップがてんこ盛りのダンジョンを冒険するゲーム、『ダンジョンマスター』。

ある日、いつものように件のゲーム攻略本コーナーにて新入荷本をチェックをしていた私の目に、『ダンジョンマスター百科 新体験の手引』(商品ではなく作品だと思っていますので、二重鉤括弧を用います)という、ちょっと不気味な攻略本が飛び込んできました(ちなみに、1991年に発売されたスーパーファミコン用ゲーム、ビクター音楽産業『ダンジョンマスター』の攻略本です)。

手に取ってパラリパラリとページをめくってみたならば、プロローグからすでに異世界に迷い込んでしまったかのような強烈なインパクトに秒殺! しかも、『Wiz』と同じ3DダンジョンRPGではありませんか! 脊髄反射よりも速くレジへ直行し、その日から穴の開くほど読みふけりました(……当時の私は、誕生日かクリスマスにしかゲームを買ってもらえなかったため、その季節が到来するまでの間、まだ見ぬ本編に思いを馳せながら、ひたすら攻略本を読んでいたのです……)。

理路整然とまとめられたデータ群は、攻略に役立つというよりもむしろ、ゲームが数字で組み上がっていることを雄弁に語ってくれる媒介でしたし、一方で、著者である飯田真佐史(はんだまさし)さんの世界観を大切にしつつ含みを持たせた文体は、数字以外が醸成するゲームの立体感を雄弁に語ってくれる媒介でした(ちなみにこの成功体験から数年間、“ジャケ買い”ならぬ“飯田真佐史さんの攻略本先行買い”をし続けた私。無論、アトラス『真・女神転生』『真・女神転生II』は骨の髄まで楽しみ尽くしました!)。

ゲームを作りたいんだ!

小学生~中学生のころの私が知る由もありませんが、出来の良い攻略本というのは、実に仕様書(ゲームを作るための一番大事な書類)然としています。むしろ、変更/追加の嵐でグチャグチャになった本当の仕様書よりも、美しいとさえ断言できます。

週に3回30分ずつしかゲームを遊ばせてもらえなかった私は、必然的に、漫然と本編をプレイしていても把握できない“遊びの本質的な構造”を見事なまでに浮き彫りにしてくれる出来の良い攻略本(≒仕様書)を読み込むことで、ゲームを脳内で展開し、その枯渇感を癒すようになります。そんな脳トレめいた遊びを日々続けているうちに、「あれ? 攻略本のこのデータは間違っていやしないか?」という誤植の発見が、ドンドンと、「このゲームのあの部分は、こうした方が楽しそうだなぁ」「このパラメータをいじれれば、違ったテイストのゲームが作れるかも」という風な、厚かましい(良く言えばクリエイティブな)思考へと発展していき、最終的には「……いっそ、自分で作りたい!」と思うようになっていったのです。この、攻略本をキッカケとした些細な心境の変化が、いわゆる“人生のターニング・ポイント”だったのでしょう。

ゲーム・サウンド・デザイナーとなって早15年以上経ちましたが、もし「私の名曲で世界を唸らせよう!」という意気込みでやりはじめていたら、ここまで長続きしなかったかもしれません(ゲームは総合芸術であり、音楽発表の場ではないからです)。とにかく単刀直入に「自分の手でゲームを作りたい!」という気持ち、ゲームというメディアへの憧れと固執からスタートできたおかげで、今でも日々を幸せに過ごせているのだろう、と思います。

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