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電子楽器の“楽しむ”を再定義しよう

ITの恩恵により人知を超えた効率化が可能になって久しいですが、その副作用として、“無駄”を激しく忌み嫌う空気が社会全体に漂っているような気がしてなりません。身近なところで言えば、「シンセを買ったら、音色を作ろう!」というキャッチ・コピーだったり、「セールで買った音源、まだ起動すらしてないや……」という自己嫌悪だったり。

でも、待ってください。楽しみ方さえも効率化しちゃって良いんでしょうか? 本来的には、“VSTインストゥルメントの.dllをアルファベット順に漏れなく揃える”なんて無駄の権化のような購買動機があったって悪くはないはずなんです!

“聴き専”は大切なことを教えてくれました

原初DTMで隆盛を極めた嗜みのひとつに、“聴き専”というものがあります。

DTMって市場自体が、霞のように消えちゃったんだろ本サイトのHTTPS化にともない削除してしまった記事ですが、加筆修正を行ない再掲いたします! 「ふぅ~ん、昔、こんなことがあったんだな」...

具体的には、ご自身で作曲せず、他者のMIDIデータを深く味わって、感想や分析を仲間と交わし合う、というレクリエーションでして、当時は、そのためだけに高価なGM音源を買い揃える人が大勢いらっしゃいました。シンセサイザーや音源を“曲を作るための道具”と捉える一般常識に基づけば、実に珍妙で愚かしい行為なのですが、今振り返ってみると、彼らは私が考えるよりももっと純粋に真剣に精密にDTMを楽しんでいたのではないか、と思えてなりません(MIDIデータ制作者が推奨する音源を厳守するのは序の口で、新製品を1mmのためらいもなく発売日に購入してチェックしたり、各製品のもっとも優れた個性を音色単位で探し出したり、コレクションした数多のMIDIデータを使ってモタらないデータ密度の限界を製品ごとに炙り出したり。どれも文化に対する心からのリスペクトがなくては、絶対に真似できないことです)。

ならば、初音ミク以降の新生DTM、つまり今の時代においても、シンセサイザーや音源を、曲を作るためだけでなく、もっとさまざまに、好き勝手に楽しまなくちゃウソでしょ、ってなモンです。……さぁ、今こそ電子楽器の“楽しむ”を再定義しようではありませんか!!

ただ聴いて、楽しむ

先日、ちょっと珍しい出来事に遭遇しました。『悠久の風』の弦アレンジがひと段落し、パーカッションを入れたくなったため、Spitfire Audio「Hans Zimmer Percussion」を立ち上げて、[Boobams]という楽器の[Random Rod]なる音色を選択。「あーでもない、こーでもない」とリズムを組み立てていたときのことです。

マシン・ライブの司令塔、「KeyStep Pro Black Edition」近年のハードウェア熱の高まりを受けて開発された製品群がこなれはじめ、機が熟した感があるので、鍵盤付きハードウェア・シーケンサーの雄、「K...

不意に、歩道に面した窓側から「ケホケホッ……!」と男性の咳き込む音が。こんなご時世です。「あら、大丈夫かしら?」と気にかけつつも作業を続けていると、再び「ケホケホッ……!」と咳き込む音。「おや、さっきの人だな。ひどくなるようならば、表に出て様子を見てこようか。最悪、救急車を呼ばなくちゃならないかもしれないし」と思い、ヘッドフォンを外して玄関前でしばらく待機したのですが、ときどき車の通過音が夜の静寂を切り裂くだけで、咳はパタッと聴こえなくなりました。しかし、「どうやら大丈夫そうだな」と、部屋に戻ってヘッドフォンを付け直し作業を再開するやいなや、またあの「ケホケホッ……!」と咳き込む音が聴こえてくるではありませんか!!

▲Spitfire Audio「Hans Zimmer Percussion」の画面。泣く子も黙るハリウッド映画音楽界の巨匠、ハンス・ジマー先生がプロデュースしたシネマティック・パーカッション&ティンパニ音源です。音の距離感を自在に調整できるのが魅力!

この辺でようやく、「まさか、音源から聴こえてるの!?」と「Hans Zimmer Percussion」を疑いはじめまして、[Random Rod]の音色を連打してみると、ビンゴ! 打音が消え入る間際に「ケホケホッ……!」と咳き込む音が混入しているサンプルがあったのです(Spitfire Audioの音源は、マルチ・サンプリング/マルチ・マイキング/ベロシティ・レイヤーのみならず、完全な同音連打を防ぐため“ラウンド・ロビン”と呼ばれるバリエーション違いの同音サンプルを多数収録しているので、意識的に探し当てようとするとうっかり苦労させられます)!

◆咳き込む音が混入している[Random Rod]の音色

なお、当該音色は、数年前に海外フォーラムでも軽く話題になったようで、そこでの議論からSpitfire Audioのサポートへと連絡が行き、2020年7月リリースの“バージョン1.0.26”にてキッチリと修正対応がなされております。

v1.0.26 (July 2020)
PB-293 loud cough on one RR of Boobams random rod

この椿事のおかげで、私は、目的を持たずに音源のサウンドを吸収する楽しさを見つけられました。「カンッ」という打音ひとつ取っても、その裏にさまざまなドラマがあり、多くの人の手を介して私の目の前の空気を揺らしているのだと気付かされ、それだけで目頭が熱くなるのです。

自分を感動させてくれる音を探して、聴く。再現性を持つ電子楽器ならではの、とっても素敵な楽しみ方じゃありませんか!

光らせて、楽しむ

シンセサイザーは昔からなにかとピカピカ光るものではありますが、その輝き自体を楽しんでしまうのもアリだと思います。

例えば、ROLI「LUMI Keys」。こちらは、“光る鍵盤”を搭載した最新のMIDIキーボードでして、ポロンポロンと何気ない演奏をするだけで、カラフルな光たちが優しく心を満たしてくれます(……誤解があってはいけませんので補足をば。「LUMI Keys」は“光る鍵盤”以外にも、タブレットと連動するレッスン機能や、ホリゾンタル・タッチ風の鍵盤ピッチ・ベンド、ポリフォニック・アフタータッチなどを備えた、超高性能な製品でございます)。

“光る鍵盤”と言えば、00年代初頭には、「Casiotone」シリーズの“光ナビゲーション”や「PORTATONE」シリーズの“ライトガイド”を小馬鹿にする向きが間違いなくあったと記憶していますが、今や、好き好んで“光る鍵盤”を手に入れる時代になった、と言えそうです(ちなみに「PORTATONE」シリーズは、2012年以来8年ぶりに“光る鍵盤”を復活させた、とのこと。それだけ“光る鍵盤”の需要が高まっている、ということでしょう!)。

置いて、楽しむ

もういっそ、オブジェとして眺めて楽しむ、というのもオススメです。棚の上の一等地に、ゴチャメカ感のあるキーボード型シンセサイザーや、未来的なガジェット系シンセサイザーが乗っていたら、それだけでコンクリート・ジャングルを生き抜くための勇気が湧いてきそうではありませんか! かのaccess「Virus TI2 Polar」でさえ、鹿の頭部の剥製よりよっぽどリーズナブルですし、なんてったって、鹿の頭部の剥製はシンセサイズすることができません。電子楽器の方が圧倒的にお買い得です。

置く、という意味では、“ブツ撮りの背景”にするのも上品な楽しみ方ですね。

電子楽器は、とにかく楽しいのだ!

DAWのアイコンにマウス・カーソルを乗せると、どこからともなく「曲を作らねば…… 曲を作らねばッ!」というプレッシャーが押し寄せ、先に進めなくなる方が増えている、という話をよく耳にします。もしあなたにそういった経験があるならば、ぜひ、電子楽器の“楽しむ”を再定義してみてください。今までとまったく違う世界があなたを待っていることでしょう!

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