日本のゲーム・ディベロッパーは、8年以内にほとんど死ぬ


ゲームの業界には、パブリッシャーとディベロッパーと呼ばれる、2つのビジネス・モデルが存在しており、それぞれ、“発売元”と“開発元”とを担当しています。

これまでは、その2つのビジネス・モデルが、互いを補い合い、切磋琢磨して、世界のゲーム業界を牽引し続けてきました。

 

しかしながら、日本国内のディベロッパー会社は、2025年までに、その大半が役目を終える、と僕は考えています。

そう考えるに至った理由を、近年のゲーム業界の情勢を追いながら、まとめてみようと思います。

ソーシャル・ゲームの勃興

2010年頃、多くのコンシューマ・ゲーム・クリエイターが、転職したり部署異動したりして、ソーシャル・ゲームを手がけるようになりました。この頃はまだ、コンシューマ・ゲーム業界的にソーシャル・ゲームへの嫌悪感が強く、民族大移動の波に乗ったクリエイターたちを“裏切り者”とみなすきらいさえありました。

 

数年の時が流れ、フィーチャーフォンからスマートフォンへと携帯情報通信端末のトレンドが完全に移行し、コンソール・ゲーム機に比肩するスペックを有するようになってくると、手探りだったスマホ・ゲームの開発手法も急激に確立され、著名IPがどんどんといわゆる“ソシャゲ落ち”していきました。

“ソシャゲ落ち”というのは、コンシューマで名を馳せたタイトルの続編がソーシャル・ゲームでリリースされることを指す、どちらかと言うとユーザー/プレイヤー視点の言葉でして、業界内では、「あのIPに関われるのなら……ゴクリ」というトレードオフ的な感情も手伝ってか、わりと好意的に受け止められていたように感じます。

あっちの水は甘いぞ

ソーシャル・ゲームへの嫌悪感が薄らげば、コンシューマ・ゲーム業界的には流出、ソーシャル・ゲーム業界的には流入が、止まらなくなります。多くのクリエイターを失い、まともにゲームを作れなくなったコンシューマ・ゲームのパブリッシャー会社は、この頃から熱心に求人するようになります。

 

一方で、2年ほど前には、ソーシャル・ゲームのプロパーたちがコンシューマ・ゲーム業界に逆流する現象が起こりました。

ですが、そもそもゲームを組み立てていく手法がまったく異なることもあって、「採用したのはいいけど、仕様書ひとつ書けなくて困る」という話をよく耳にしたものです。

 

そして2017年現在、パブリッシャー会社の人手不足は、相変わらず深刻です。

ディベロッパーは、生かさず殺さず

そうなると便利になってくるのが、ゲームの開発のみを専門に行なう会社、つまりディベロッパー会社です。パブリッシャー会社は、ゲームの企画/販売/マーケティング/出資だけにリソースを割き、一番重たい開発そのものを、ディベロッパー会社に丸投げしまうわけです。

この論理だと、ディベロッパーは仕事が増えるから良いじゃないか! という結論に至りそうなものなのですが、現実はそうでもありません。

ハイリスク・ノーリターンな、答えのない仕事

冒頭にも書いたとおり、15年ほど前までは、パブリッシャー会社とディベロッパー会社の互いが、他方に敬意を表し、切磋琢磨していました。ディベロッパー会社は、期待される芸術性をいかんなく発揮し、パブリッシャー会社は、それを尊重して積極的に彼らの生活を助けてあげていたのです。

しかしここ数年の大混乱によって、人が入れ替わったり、去ってしまったり、無能の吹き溜まりができたりして、その安寧が崩壊してしまいました。

 

安寧が崩壊したことで、ディベロッパー会社は、“ゲームが持つ芸術性”に悩まされはじめます。

これは、工業用部品の生産やお堅いシステム開発と違って、要件定義に対する“答え”が曖昧すぎる、と言い換えられるかもしれません。

そしてそれが意味するのは――ディベロッパー会社は、パブリッシャー会社の要件定義に基づいて開発した成果物を納品することで対価を得るわけですが(そのこと自体は、部品工場やシステム・インテグレータとなんら変わりません)――、パブリッシャー会社の担当者が、「なんだか面白くないな~、ちょっと違うんだよな~」とささやくだけで、ディベロッパー会社に対価が支払われなくなる、ということなのです。

さらに言い換えるならば、パブリッシャー会社の(さらに言うと、担当者の)とても主観的でいい加減で定性的な判断に、ディベロッパー会社の経営が左右される構造に変容してしまった、ということにほかなりません。

 

無論、契約段階で、成果物の定義をがんじがらめにしておいたり、稼働に基づく従量請求にしたりと、パブリッシャーの“納品拒否”や“オネダリ”に起因する経営ダメージを最小限に食い止める策を講じているディベロッパー会社も多々あるでしょうが、それでもやはり、早晩、“ゲームが持つ芸術性”が災いして、パブリッシャー会社に踏み潰されるはずです……。

ディベロッパーを使うこと自体がネガティブに

加えて、ユーザー/プレイヤーのニーズがどんどんディープになってきていることも、ディベロッパー会社の衰退に拍車をかけています。

「××の新作は、○○が開発しているから解散!」といった悲しい見出しが、ゲーム系まとめサイトに躍ることも珍しくありません。

 

最終的には、ゲーム開発エンジンの高度化とともに、ゲーム開発という概念が際限なく分断されていき、ディベロッパー会社の業務範囲が、少額の(薄利で、開発者冥利に尽きない)“アセット制作”のみに収斂せざるを得なくなる、と僕は考えています。

それが露見する頃には、ディベロッパー会社からパブリッシャー会社、ないしは、ディベロッパー会社からフリーランスへの民族大移動がピークを迎えているでしょうから、いよいよもって、ディベロッパー会社の生きていく道は完全に絶たれるのです。

 

さようなら、ディベロッパー。また会う日まで。

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